有限会社いろは貿易

坊主・ハラキリ(?)事件-ピンバッジの納期-20年以上前ですが

坊主・ハラキリ(?)事件-ピンバッジの納期-20年以上前ですが

20数年前、香港でピンバッジの仕事をしていた時の話です。
PINSピンバッジのいろは貿易

大口の発注がきました。
その商品は半年ほど前から見積もりがきていたものです。
ピンバッジのサンプルの段階で仕様変更(パッケージの方法)の多さにまいりました。
ここでものすごい時間のロス!
その後、やっとのことで量産へ。

しかし、ここで大問題発生!
困った

そう、納期です。
見積もりの段階から、「これだけ生産するには最速でも**日かかります」と言い続けてきました。
ですが、言われた納期はたったの**日です。

私はその瞬間「絶対無理だ!」と思いました。
この商品は数量が多く、また梱包のセット方法がものすごく面倒な仕様でした。
セットは手作業により行うものです。
「「これだけの人数(百人単位ですよ)でやって**日はかかるな?」」
と思いつつ泣きそうです。

そのことを日本のお客様に話すと
「でも、やってくれ・その納期で必要」としか返事が無い。
(お、さすがに今回は<でも、やれ>とは言えないかと思いつつ)
そんなことならもっと早く仕様の決定・量産の発注をかけてよ。

昼間は香港で仕事をし、夕方から中国のピンバッジ工場へ。
朝一番で香港へもどっと仕事ということを週2回くらい+週末は工場張り付きをしていきました。
とうとう1回目のピンバッジの工場出荷の前日が。
夜10時に工場に着くと工員が必死に作業中。
「これ本当に出荷が間に合うのか?」と率直な感想でした。

残業の工員が帰ったら、夜勤の人のみ。
夜勤のみだと人数を減るし大丈夫かな?
あああああああ、心配だ。

とりあえずピンバッジメーカーの社長と話を、すると恐ろしい話が!
「今いる工員は明日の出荷(午後2時)まで作業をする。その他新しい夜勤の工員と他の部署の日勤者を連れてきて作業をする。」と言い出した。
恐るべし中国!
途中、食事の休憩をはさみ作業は続く。
出荷日のお昼の食事の時間が。
しかし、まだ目標の数量のセットは終わっていない。
またまた社長の神(?か悪魔)の一言。
「出荷が終わるまで食事をしないで作業を続けろ!」
え?もしかしたら。。。。。。。。
しかし、タイムリミットがやってきた。
中国→香港の中国からの輸出通関に間に合わせるにはもう出発しないと。
しかし、。。。。。。

またまた、ここで奥の手。
税関の職員を工場に呼びつけ、工場で通関のチェック!
少し時間が稼げた。
作業の終わった商品からコンテナへ積み込み。
税関の職員がバイクでやってきた。
その職員が商品のチェックをしている最中も奥ではまだ作業中。
職員が「もう帰るぞ」と怒り出したがなんとかなだめ。
お—-最後の商品が来た。
これでなんとか1回目の最低の出荷数に到達。
お客様には「最低**セットから**セット出荷してくれ」と言われていた
まさにぴったりの最低数量になんとか届いた。

ピンバッジ工場のみなさん、ありがとう!
ありがとう

何とか1回目の出荷は格好がついた。

36時間寝ないで作業、日本では許されないだろうな。
が、ここまででまだ題名の「坊主・ハラキリ(?)」が登場していない。 ということで2回目のコンテナが出荷されるまでの話に続きます。

1回目のピンバッジの出荷が終わり、一息つく間もなく次回の出荷の段取りを始めました。次回も同じくらいの数量が必要で、さらなる努力が求められる状況に立ち向かうこととなりました。
まずはピンバッジメーカーの社長と再び納期の話し合いが行われました。前回の出荷で全数出荷ができなかったことを踏まえ、次回のスケジュールがますます厳しくなりました。私は口調を強めて次回の納期を確認しましたが、心の中ではこの納期は初めから無理があるとの危惧がありました。
ピンバッジメーカーには1回目の出荷が完了していないことを伝え、次回の出荷に集中することを伝えました。ただし、納期の厳しさを理解してもらうため、私は奇抜な手段に出ることにしました。
私は近くの床屋で坊主頭にし、その様子をデジカメで撮影。土下座のポーズをとり、この写真を香港の事務所に送りました。
坊主頭
私は「日本では謝罪の際に坊主にする。その次は指を切り、最後はハラキリだ!」とメーカーに説明しました。


私は「指つめ・ハラキリになったら貴方達も日本に一緒に謝罪に行くよ!」と冗談で言ってみると、ピンバッジメーカーの社長も悪乗りし「俺は行かん!お前たちに行かせる!」
社長は台湾の方ですので、現在の日本で切腹なんてしないことは知っていますが、他の工員たちは日本の文化を理解せず、私(もしかしたら自分たちも?)を心配している様子でした。一風変わった光景によって、なんとかピンバッジメーカーの工員たちは次回の出荷に協力する姿勢を見せてくれました。

しかし、新たな問題が浮上しました。外注した梱包材が予定通りに届かず、ピンバッジメーカーは「どうしよう?」と言ってきました。私は迅速に外注先と交渉し、外注先も何とか対応してくれることになりました。
外注さんの工場のみでは納期が間に合わないので、ピンバッジメーカーに外注さんが来て作業をすることにしてくれました。(ちょっと、ほっとしました。)

しかし、勝負はこれからだと感じていました。

納期が迫り、生産は非常に無謀な状況で進行していきました。
生産中に現場の責任者と
「もう、68時間寝てないね」という会話をしました。
泣いてない

その後、結局何時間寝てないのだろう。
食事の時間などにはソファーで10分位うとうとしましたが、私と責任者はベットでぜんぜん寝てません。
他の工員さんたちも同様に36時間以上の勤務を強いられ、厳しい労働条件が続きました。

とうとう2回目の出荷の時が訪れ、1回目の出荷の時と同じように再びぎりぎりの状態でした。
通関職員を工場に呼び寄せ、最終的には何とかセーフ!

ピンバッジ工場工員のみなさん ありがとう!
ありがとう

お客様の納期は間に合いお客様にも喜んでいただけました。
2回目のピンバッジの出荷も成功裏に終えました。

これで終わりかと思いきや、また新たな仕事がやってくることを予感しながらも、一先ずのひと安心の瞬間でした。中国人民の力と協力に感謝しつつ、これ以上の過酷な状況に巻き込まれたくないとの思いでいっぱいですが
「あ–、でもまた仕事とっちゃっった。なんとかして」ってくるんだろうな。

20年以上前の出来事ですが、今ではこのような労働環境は中国でも許されませんので、お客様に納期のご協力をより一層お願いしなくてはいけない状況です。

これにて「坊主・ハラキリ(?)事件」のお話は終了です。皆様、お付き合いいただきありがとうございました。

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